パンくず

寶福禅寺

雪舟像
  この夏中四国の教会が合同修養会をウエルサンピア岡山で開催した。初めての会場であったが、
夏休み終わりということで、家族ずれで賑わっていた。特に大きな大人こども用のプールがあるのが、人気のようだった。
  集会が終わって帰途、近くの寶福禅寺に寄った。学生時代同級生で一緒に通学した友人が三年の時転校、彼はこの寺に養子で来ていたのを思い出し、何となく懐かしいのと、有名な雪舟が小僧時代に涙で描いたという鼠(ねずみ)の逸話のことも知りたいと思ったからである。
 天台宗の古刹で鎌倉時代に現在地に伽藍が建立され、厳しい道場として知られている。三重の塔は国定重要文化財、境内は僧侶がきれいに掃き清めてあった。この日、観光客は見られなかった。
プール

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命の水

朝日新聞の『天声人語』に水争いを取上げていた。アジア各地で水争いが起きているという。インドでは工業用水の急増から地下水の層が年々深くなり、借金して井戸を掘ったものの、水が出ず自殺する農民が後を絶たないとか。タイでも穀倉地帯の水不足が深刻で、農業と工業で、取り合いをしている。
宇宙から見れば地球は青い。それは水の惑星だからだが、ほとんど海水、淡水は2.5パーセントに過ぎないという。
東大教授沖大幹氏の試算では、水の安定供給を得られない人々は世界で25パーセントにのぼっているというから驚きだ。更に今世紀半ばには約40億人に増えるという。人類の未来は閉ざされそうだ。日本の食卓は輸入食品が三分の二を占めているそうだから、他人事ではない。
水資源の豊富な日本で、かつて松下幸之助は電気の供給をいつでもどこでも水道の蛇口のようになるのが理想だと言っていた。そのような日本人的感覚は、今も変わらないようだ。そこで有効な水利用が求められている。
イスラエル旅行で感心したのは荒野だった土地を改良して、農作物の水供給を地面にネット状のパイプを拡げて実施していることだった。パパイヤやなつめ椰子の樹林も多く見られた。水の大切さを知っている聖書の民だからだろうと思った。
水はライフラインである。
それは神に生かされた人間の基本。イエスの言葉をここで紹介しようヨハネ福音書7章だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」(37〜38節)
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生きるとは

平櫛田中鏡獅子
  福山市名誉市民の平櫛田中は、幼名は田中倬太郎で松永に養子できた。107歳の生涯(1872〜1979年)を送った木彫の巨匠で長く在米で活躍し、帰国後東京芸大学長も勤めた方である。岡山県井原市の「田中美術館」にもいったことがある。
 以前上野美術館で、個展を見たことがあり、その時買った色紙がある。「いまやらねばいつできる。わしがやらねばだれがやる」 これは彼が晩年に書いたもので、90歳?過ぎて、これから山に樹を植える、その成長を待って彫刻の作品を手がける云々と語ったという。有名な言葉は「六十、七十ははなたれ小僧、男盛りは百から、百から
 「夜と霧」著で知られているV・E・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」を最近再読していて、そこに紀元前1世紀ユダヤ教のラビの言葉が引用されていたので紹介したい。
 人生が一回きりでひとりひとりの人間が唯一であること、しかもあるものにとつて唯一であること、つまり他者にとって、共同体にとって唯一であることを一つの公式にまとめてみましょう。それは、人間の「おそろしくもすばらしい」責任、人生の「重大さ」に私たちの注意を促すような公式です。そうすると、タルムードの創始者のひとりであるヒレルがおよそ二千年前にモットーにした言葉を引き合いに出すことができると思います。その格言というのはこうです。
  「もし私がそれをしなければ、だれがするだろうか。
  しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら、 
  私は何であろうか。
 そして、もし私がいましなければ、いつするのだろうか。」

「私がしなければ」というところに、各個人が唯一だということが含意されています。「自分のためにだけするなら」というところに、唯一であってもなにかに尽くさなければ、価値がないし無意味だということが含意されています。「いましなければ」というところに、そのときどきの状況が一度きりだということが含意されています。
 平櫛田中はヒレルの言葉を知っていたのかも知れない。そこには唯一の人生の「生きる」という意味が込められている。わたしにとって、これは”目から鱗”である。
 死んだラザロの墓の前でイエスが大声で「ラザロ、出てきなさい」よ呼びかけられた出来事を思わされている(新約聖書ヨハネ11章43節)。

写真 五代目菊五郎の等身大木彫 鏡獅子

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植物の効用

 大阪大と医療用具開発ベンチャーのエム・エム・ティ−(大阪市)が共同開発した「頭髪用のサプリメントが朝日新聞(08.6.5)に載っていた。
 実に興味深い、大いに関心を集める記事ではないかと思う(特に男性で頭髪に悩んでいる者らにとってである)。
 その記事によると、サブリメントの主成分に男性型脱毛症の進行を抑える働きがあることを、同大の富田哲也助教らの研究チームがヒトの細胞を使った実験で確かめた。
 東京で6月6日開かれる日本抗加齢医学会総会で発表する。
 この成分は、発熱などに効くとして古くから愛用されてきたハーブの一種、夏白菊=写真=から抽出した「パルテノライド」。近年の研究で、がん転移や様々な炎症を引き起こす司令塔役のたんばく質「NF−kB」に結びつき、転移や炎症を抑える働きがあることが分かっている。
 研死チームは、この成分のリウマチや関節炎に対する作用を調べている最中に脱毛症への効果を見つけた。リウマチ愚者に与えたところ、痛みが和らいだうえに「髪の毛が太くなったり、薄くなった頭頂部にうぶ毛が生えたりした」(富田助教)という。額の生え際や頭頂部の毛が薄くなる男性型脱毛症の原因物質は、男性ホルモンの一種「ジヒドロテストステロン<夏白草
span style="color:#ff0000">文字色」(DHT)とされる。DHTの生成には「NF−kB」がかかわっており、パルテノライドがその働きを抑えることで、脱毛症の進行が抑制されると研究チームはみている。
 富田助教は「従来の脱毛症薬とは異なる、NF−kBという治療のターゲットが見つかった。新たな治療法への応用が期待できる」と話す。 

 実は植物が人間社会に大いに貢献していることは、数多くあるであろう。植物と言わず野菜の豊富な種類を上げるまでもなかろう。ドイツを旅行していて、二階建ての家屋のベランダに、色々の花を付けたゼラニュームの鉢が並べてあった。これは独特の匂いで家の中に蝿や虫が入らなくしているのだと初めて聞いた。日本では余り知られていないことである。

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国家神道と無宗教

東京大学宗教学の島薗 進氏の文章が朝日新聞にあった。「信教自由」の問題である。
 旧憲法下では国家神道は、宗教ではないと考えて国家主義に取り込まれていたが、新憲法になり政教分離の原則により、神道は一宗教法人と位置付けられてきた。そこで島薗氏の記事をここで引用する。
「……これは日本人を無謀な侵略戦争に導いた宗教とイデオロギーの悪影響を取り除かなくてはならないとの判断だ。そこで1945(昭和20)年12月15日にいわゆる「神道指令」が、48年1月1日にいわゆる「天皇の人間宣言」が下された。 これをもって国家神道は「解体」されたと理解されてきた。しかしこの指令でいう「国家神道」は国家祭祀の機関として特別な地位を与えられた神社神道という狭い範囲に限定されている。「解体」されたのは国家と神社神道の結合であり、皇室神道の核は維持された。その後、皇室神道と神社神道の関係を回復し、神道の国家行事的側面を強めようとする運動が活発に続けられてきた。例えば、伊勢神宮と皇位が不可分だと政府に認めさせること(神宮の真姿顕現運動)、建国記念の日の制定(紀元節復活運動)、行幸する天皇に三種の神器を伴わせること(「剣璽御座」復古運動)などだ。1945年以後も広い意味での国家神道は存続している。戦前の国家神道は天皇崇敬と結びついた民間の運動に支えられてきた。
戦後は民間団体となった神社・神職組織(神社本庁)が国家神道運動の主要な担い手となった。戦前に比べ薄められてはいるが、「神の国」の信仰を受け継ぐ国家強調文神道は今も多くの支持者がいる。…無宗教といわれる日本人だが、国民が否応なく国家神道への関与を強いられ、思想や信教の自由を失いかねないという不安にはもっともな理由がある。靖国神社を国家の公式儀礼施役とすることは、国民を宗教的な天皇崇敬に駆り立ててきた戦前の体制に近づいていく意味を含んでいる。
国家神道強化に歯止めをかける上で、現行憲法の信教自由の規定が果たして来た役割はきわめて重い。」
                 

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