パンくず

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ノーベル平和賞を受賞したキッシンジャー

朝日新聞の「サザエさんをさがして」(09.5.23付)にキッシンジャーのことが書いてあった。彼の経歴は今まで全く知らなかったが、この記事で何か参考になればと切り抜いたものをここで、少しばかり投稿する。
 彼はユダヤ系でドイツ生まれ、ナチスの迫害を逃れ15歳の時親に連れられて米国に移住。69年にニクソン大統領補佐官になった。71年に極秘裏に中国を訪問し、米中国交樹立への道を開いたという。73年にはベトナム和平協定に仮調印し、国務長官に就任。同年ベトナムに平和をもたらした功績で、ノーベル平和賞を受賞という。
 70年代の世界外交はこの人を中心に回っていた感があり、中国だけで100回以上も訪問するなど、世界を駆けめぐったと書かれている(記事・伊藤千尋)。
 興味深かったのは、本年4月来日、岡山大学で創立60周年の記念講演で大学院生の女子に「不可能を乗り越えてきた心構え」を聞かれた時、彼は「渡米した時は無一文で髭剃り用ブラシを作る工場で働いていた。国務長官似なれるなど、夢にも思わなかった」「自分が楽しいと思うことを頑張り、最も大切だと思うことを極めることだ。人生は長い」と応えたそうだ。
 最も大切だと思うことを極めるなど、凡人には中々出来ることではないが、聞くべき言葉と思った次第である。

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創立記念日

 先週M牧師の追悼式があり、その席で、彼の思い出を語る機会が与えられた。山陰宣教の長年の戦友と言うべき人物であったが、召される前10年程会っていなかった。彼は九州の炭鉱の町に転任して3年余を過ごし、その後隠退して東京に帰り、病気治療に専念していたのである。九州在任中に地元の新聞社から「エッセー」を頼まれ、寄稿していたものが一冊の本になって出版された。追悼式後それを読む機会があり、その「創立記念日」という一文が彼らしい内容だったので、ここで引用することにしたい。

 …39年間自分の人生を傾けて仕事をし続けた教会へ行ってきた。創立五〇周年記念式典のためである。戦後、大陸からの引き揚げた者たちによって山陰の田舎町にキリスト教の集会が始まったが、あまりにも田舎のため定住する牧師もなく、もはや風前の灯という状況だった。市とはいっても田んぼの蛙まで数に入れて、やっと人口五万弱、夜になるとただただ蛙の声のみ盛んで、蛍が乱舞していた記憶が鮮明である。そんな中で無我夢中で青春を傾けた39年間連れ合いと共に涙と汁をそそいで教会を建て上げ保育園を建設してきた。ふと気がついてみると、紅顔の青年牧師を迎えてくれた昔の仲間たちはみな天国に移籍し誰もいない。田舎町もバブルの余恵か、開発が進み、全国のどこにでもあるような特徴のない街になっていたのである。
 自分の居場所がなくなったような思いでこの地をはなれてから数年、再び訪れて親しく挨拶を交わす旧知の少なさに寂しさを覚えつつ、私もまた寂しがられる側にもうすぐ回るのだなと、しみじみ実感したのである。年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。無我夢中のころは、自分独りだけで
頑張っていたように思っていたが、今は亡き人達にどれほど多くの恩顧を受けてきたか、遅まきながら気づかされたしだいである。

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死を悼む心について

米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画「おくりびと」(瀧田洋一監督)が、今話題になっている。原作は判らないが、直木賞の天童荒太の小説「悼む人」もこのテーマが扱われているというが、その主演本木雅弘が「納棺師」を演じている写真で、想像できる。
 新聞の評論では「命の重さを取り戻す」ということらしい。生と死の境界線を見つめるということではないだろうか。日常には殆ど経験しない人の臨終場面を映像で見せつけるのであろう。少々儀式めいているようだ。
 現代の多く失われていく人の死は、一般化されてそれが見えてこない。葬儀に関していえば、「葬儀社」がビジネスとして多く関わっているので、身近な者の死別も他人任せで、死を悼む余裕もないのが実情である。
 この映画(小説)では宗教はどのように関わっているのだろうか。葬式仏教と言われて久しい現代では、宗教離れが加速している。これは他宗教にもいえる。
キリスト教会ではどうなのか。葬儀社に依頼し、式場も礼典会館で執り行い、以前とは変わった。
尤も「納棺師」などという人物が居ることは、驚きである。昔も今も牧師と遺族が一緒になって納棺するのが普通である。
 この映画がアメリカ人には形式的にしかるべき業者の手で執り行われていることへの厳しい批判を示すものだったのかも知れない。それは形骸化したキリスト教信仰乃至は非宗教化しているアメリカ社会なのかも知れない。

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死生学

朝日新聞に関西学院大藤井美和准教授の紙上特別講義「死生学1」が載っていた。シリーズ記事を読みたいと思ったが、第一回の記事から抜書きしてみたい。藤井さんは急性多発性根神経炎という難病に罹り、死の恐怖に襲われ、治癒した後「死生学」を学ぶことになり、ワシントン大学で博士号を取得したという。
見出しに「死は生の一部なのに生死の場が病院に移り身近に感じない」とあった。キーワードとして囲み欄がある「誕生と死亡の場所 厚生労働省の人口動態調査などによると、1950(昭和25)年は8割以上の人が家で亡くなり、赤ちゃんの9割以上が家で生まれた。76年に、自宅での死の割合と、痕院や診療所などの施設での死の割合が逆転した。06年の統計では、死を迎えた場所は施設が85.4%なのに対し、自宅は12.2%である。誕生の場所は60年に施設と自宅がほぼ半々になった。06年は施設が99.8%を占めた。」
 これは06年以降核家族化が急激に進んだ結果と関わるようだ。つまり赤ちゃんの誕生も肉親の誕生も病院や施設に移ったことで、身近に生と死に接する機会が失われたのである。一方で小学生などはテレビやゲームで仮想の生と死に晒され、「死んだ人が生き返る」と15.4%が答えている(長崎県教委の調査)。この影響は10〜20代にも及んでいるだろう。ここで二つのことが考えられる。一つは安易な自死や、凶悪犯罪に影響していないだろうか。今ひとつは「死生学」は極めて宗教学的なテーマであり、非宗教の人々が顕著になっていること。
 いま少しこのテーマが深められたらと思う。

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三つ葉のクロ−バー

続き
 和戸教会の説教講壇上部に三つ葉のクローバーの形が、前面に五つ、左右側面に各々二つ、彫
り抜かれてある。三つ葉のクローバーの形は、単なる装飾として付けられているものと誰もが思っていた。ところが、司馬遼太郎の『街道をゆく』第三十巻 「愛蘭土紀行」 の中に次のように書いてあるのを読んで合点するものがあつた。
  さて、聖パトリック(385〜461)について語らねばならない。                    一
  そういう名の人が、アイルランドにやってきて、はじめてキリスト教を伝えた(中略)。 「これをごらん」 といって、聖パトリックはこの島の人々に三つ葉のクローバーをかざして見せた、という。「葉が三つに分れているように見えるだろう。だけど、よく見ると一枚の葉なんだよ」 つまり三位一体なんだよ、といって、この難しい教義を説明した。
 キリスト教の図像学ではクローバーは三位一体を表してきた長い歴史があるが、その発祥は聖パトリックの伝承に基づくものであつた。これについては次のような記述もある。

 彼聖パトリックの布教の方法はアイルランドに群生していたシャムロック(アイルランドの国花、三つ葉のクローバーで白い小さな花を咲かせる)を用いた。三位一体を表すキリスト教の信仰をこの三つ葉のクローバー∴ト例えたのである。父・子・聖霊を一体とみなすキリスト教信仰はシャムロックを愛する人々の中に自然と浸透した」

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