パンくず

支えがあれば生きられる

    日キ版の月刊誌「こころの友」9月号に在宅ホスピス医小澤竹俊さんの記事があった。人が生きる力を支える三つの柱があるという。こんなことをしたいという時間の柱、家族や仲間などの支えという関係の柱、そして自分のことは自分でという自律の柱だという。
   時間と関係の柱は折れたり壊れたりして生きる力が失われるが、何とかなる。問題は三番目の柱である。自分を見失ってしまうと生きることが難しい。「何で生きているの」「生きるって何」「生きてどうなるの」と自問自答する。
   この暗中模索から光明を見出すのがバイブルである。これは「唯一冊の書」という意味である。古代の文献ではない。
  聖書と向き合う。心に響く言葉を読み取る。祈りをもって読み黙想する。そこで自分を見出し、自分の生き方を発見することになる。
  小澤さん自身も医師の経験の中で28歳の時キリスト教に入信し聖書を読み、自己決定の柱を支えとした働きをしておられるようである。
   次のような聖書の言葉を引用している。
  「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」コリント信徒への第2手紙12章9節

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捨て子物語

   本年話題になった熊本市慈恵病院の「こうのとりポスト」のことを思い出します。今年五月に設置され、六ヶ月に八名が預けられているそうです。全国でここ一ヶ所ですが、この慈恵病院は、東京の慈恵医大の系列の病院だろうと思います。慈恵医大病院の創立者は高木兼寛という人で、一八八二年彼が英国セントトーマス病院で博愛主義を学び、病気より病人を医療の基本信念にして病院を興しました。また米国宣教師リードを招いていち早く看護婦教育を始めています。幼児をポストに投げ込むような仕方に対して批判がありましたが、苛めや幼児虐待の悪いニュースが伝えられる中で、生命の尊厳をアピールすることであり、育てられない幼児を受入れる病院は、アメリカ始め欧米社会では少なくないと言われています。
   聖書で捨て子物語といえば、出エジプト記2章にあるナイル河に籠にいれられた乳児をエジプトの王女が拾い上げてモーセと名をつけて養育した出来事である。この要約がステファノの説教に出てきます。

  使徒言行録7章18-22王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。」

  先ず3ヶ月まで神が命を守られたこと。次にファラオの王女に拾われたこと。王女は王の命令に従わないで、わが子として育てたこと。そして帝王学を身につけたこと。神はこのようにしてモーセをエジプト脱出の大事業に用いられた。

  一つの小さな命に神の豊かな可能性を与えられていることを知ることができます。

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天国銀行に預金

  これは松本清視さんの立証である。その一部をここで紹介したい。

  私には伝道という言葉を聞くと60年前に40才で亡くなった父の姿を思い出すのです。父は家の二階を仕事場にしてウルシ塗りの座敷机を作っていたのでしたが、若い頃から熱心なクリスチャンで、私は小さい頃から父に連れられて日曜学校へ行っておりました。父は一日の仕事を終えると、私に十字架の印のついた提燈を持たせて路傍伝道に出掛ける事が度々ありました。月末になると得意先へ集金に回るのですが、集金したお金を持ったまま、夕方教会の伝道集会に参加するのです。そして伝道者の説教に感激したと云って、大金の入った財布ごと献金して帰ってくるのです。家には材木やウルシ等、仕入先の番頭さんが集金に来て待っているので、母が「集金はどうなったんや」と聞くと、父は「全部献金して来た」と云うので、母は教会へ返して貰いに走って行く事が度々ありました。
   母がいつも因っていたのは、その頃「乞食さん」と云われて公園等に夫婦子連れで放浪している人達をよく見掛けたのですが、父は可哀相だからと云って、家へ連れて来るので、母は汚れた着物を洗ってやったり、食事を作って食べさせたり、自分の家の子供の世話から、住み込み職人さんの食事作りや、乞食さんの世話までして、大変だったのです。父はその人達にキリスト教の正しい生き方について、話をしていた様でした。しばらくしてその人達が居なくなると、又別の親子連れを連れてくるのです。又ある時は長島愛生園を逃げ出した人達が父を頼って来てしばらく住んでいた事もありました。父は日曜日には近所の子供達を集めて、日曜学校を開き、賛美歌を教えたり、聖書の話をしたりしていました。その父も40才で病死したのですが、亡くなる前に、母に「私が居なくなっても、この家は神様が守って下さるから、お金の心配はするな、天国銀行には家族が一生使っても、使い切れない程のお金を預金してあるから必要になれば神様がいくらでも下さる」と云ったのです。
   父がいなくなってからは、母は父がいた時と同じ様に聖書を読んで家族集会を持つ様になり、牧師先生にも来て頂いて近所の人達にも声を掛けて家庭集会を持つ様になり、私も近くの教会へ行く様になり今迄続いています。父が預けたと云う天国銀行の預金は、60年過ぎた今になっても神様から貰い続けている事に気付くのです。私も父に習い、家族、孫達が神様から沢山頂ける様に、天国銀行の預金に励んでいます。

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言葉の貧しさ

   これは愛知県の中学2年の投書記事である。
 私が小学校1年のころだったろうか。「キレる17歳」が話題となり取り上げられた。ところがどうだろう。最近では私と同い年の「うざい」 「キモい」などがある。「うざい」は、うっとうしい、嫌い、しつこい、目障りなどの意味がある。「キモい」は気持ちが悪いの略で、使えるジャンルが広い。さらにひどいのは「死ね」である。私の小さいころは悪口に「死ね」とは言わなかった。だが今では至るところで「死ね」という言葉を聞く。
 「死ね」と言う人は自分の言葉の意味に気づいてもらいたい。言葉には人を傷
つける力も、立ち直らせる力もある。日常的に「死ね」や「殺す」と口にしていると生も死も感覚が希薄になっていくのだと思う。生きることも死ぬことも大変なのに今では生も死も軽くなっているような気がする。そんな時代だからこそ殺人や犯罪の低年齢化が進んでいるのでは、と私は思っている。
  共感する投書である。特に形態メールという空間で言葉が独り歩きし、そのリアクションの大きさに気付ていない。
 日頃から言葉の大切さを感じている者として、言葉の貧しいさは大人も同じである。
 聖書・キリスト教は言(ロゴス)の宗教で、例えば迫害時代に棄教を促がす時に「一言でよいから、信じません」と言えば命は助けようと迫られても、その一言が生死を分けるほどの重さを持っていたことを知らされる。

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